北九州市小倉南区城野新しいカタチのお墓・納骨堂さくら陵苑

佛母寺とは
京都府宇治の萬福寺を本山とする黄檗宗の寺院です。1665年(寛文5年)、小笠原藩初代藩主忠真(ただざね)は、黄檗宗の開祖「隠元禅師」の高弟であった「即非和尚」を開山とする「広壽山 福聚寺」を足立山の麓(現在の小倉北区寿山町)に創建し、小笠原藩の菩提寺としました。

1748年(寛延元年)福聚寺七代住職「空極和尚」が小笠原忠真の室・永貞院殿の守仏を安置するために、福聚寺の分院として“佛母庵”を建立しました。以後は福聚寺の末寺としての扱いを受けていましたが、明治維新の時に独立し佛母寺となり、それ以降住職は連綿とし、今日に至っております。
住 職 挨 拶
私は、生きている間に人は人との繋がりをもつことが大切で、本来はその“繋がり”を創る事がお寺の役割であると考えております。しかしながら、現代では亡くなってからの葬儀だけがお寺との繋がりになってしまっており、またそれと同調するように地域の繋がりもまた希薄になりつつあります。

人と繋がり、そして人の役に立っていくこと。それは人の尊厳ある生き方の基本です。

尊厳という言葉は「人間の尊厳」「ヒトの尊厳」「人格の尊厳」「生命の尊厳」など、様々な表現がされておりますが、どれも微妙にニュアンスは異なります。
仏教の言葉に言い換えるならばそれは「仏のいのち」という言葉になるでしょう。

それでは「仏のいのち」とは何でしょうか。仏様に〝与えられたいのち〟なのか、仏様に〝創られたいのち〟なのか、あるいは仏様に〝守られているいのち〟であるのか。

仏教には創造主という考えはありませんので、適切な言い方をするのであれば、 仏様に〝支えられているいのち〟ということになります。
それでは「仏」とは何でしょうか。

私たち一人一人の〝いのち〟が釈尊に守られていると考えるには理解が難しくなってしまいます。中には「阿弥陀如来に守られている」「大日如来に守られている」とおっしゃられる方もいらっしゃいます。しかし、この考え方は阿弥陀如来や大日如来を信仰している人にとっては納得ができますが、仏教的に、あらゆる立場の人に受け入れられるものではありません。

こう考えていくと、ここで示される「仏」とは釈尊によって説かれた真理であると考えれば分かりやすいでしょう。
私はその真理こそが「人と繋がり、人の道を生きていく(人道)」ことであると考えております。

本寺ではその繋がりができるよう、お困りの方がいれば手を差し伸べ、お悩みの方がいればお話をきいていく。そんな現代の『駆け込み寺』となるよう、日々精進しております。

また、そのような人道支援活動を続けていくにあたり、心ある方々からの本寺への寄付も受け付けております。

人と人がしっかりと繋がり、尊厳を保つ生き方ができ、繋がっていった人も新たに人の役に立っていく。
そんな回帰の円の中心に本寺が存在できるよう願っております。
そして、2年後の2022年は開祖である隠元隆琦禅師の没350年の遠諱(おんき)であります。
この度、50年に一度の遠諱法要ということで、平成天皇陛下(現令和上皇陛下)より『大師号』を大正天皇『真空大師』・昭和天皇『華光大師』に続き授与されます。

これに合わせて、開創された大本山である萬福寺では創建当初の姿のままを今日に伝える寺院として他には例が無く、代表的な禅宗伽藍建築群としての主要建物が国の重要文化財に指定されている中、この度50年に一度の大本山の大改修を行うこととなりました。

それと同時に、禅宗の布教活動を更に推進し、当山佛母寺の発展を願い本院・別院の拡張を図るべくため、本堂、庫裏の増築・大改修をする運びとなりました。

檀信徒の方々には、遠諱事業募財および建造物修復募財事業の完遂のためにも皆々様のご支援ご協力を切にお願い申し上げます。
合掌